北海道の上士幌町は、バルーン(熱気球)の町として知られています。令和2年5月に道の駅が誕生しますが、バルールのふるさとという名称がつけられています。
では、なぜ上士幌町が、バルーンのふるさとなのかお分かりですか?
学生たちの手作りによる初めての熱気球
今でこそ各地域でバルーンのイベントや体験などが行われていますが、日本で初めて熱気球を飛行させたのは、1969年9月の頃。京都の学生たちで結成された『イカロス昇天グループ』が制作した球皮のゴンドラに、北海道大学探検部が制作したバーナーを搭載させて、羊蹄山や洞爺湖を望む地域にて飛行させました。
当時は設計や実験、そして制作と。試行錯誤しながら2年半程の年月をかけて出来上がった手作りの熱気球が、見事に大空に浮上しました。
丸みを帯びた色鮮やかなオレンジ色の気球は、それを見守っていた多くの人々の心を躍らせたことでしょう。
イカロス5号と名付けられたこの熱気球による日本初の飛行。これを皮切りにして、熱気球活動を行う団体が増え、スカイスポーツとして盛んになったのだそうです。
そして1973年には、日本熱気球連盟が発足。熱気球愛好家たちが親睦を図りながら、安全性と技術向上を高めていき、航空スポーツとして確立しました。
上士幌町で熱気球フェスティバルを初開催
1974年7月、日本熱気球連盟として初の開催となった『熱気球フェスティバル』。当時は、5団体70名がそれぞれに機体を持参で参加したそうですが、このイベントが北海道の上士幌町で行われたのです。のちにバルーンの町といわれる由縁となった出来事ですね。
そして上士幌町と熱気球は、大きな繋がりを持つものとなりました。
1977年では、厳冬期での上士幌町で熱気球フェスティバルを開催。1979年には、上士幌バルーンフェスティバルとして、競技大会が定着しました。
1992年の佐賀県佐賀市で開催された『熱気球日本グランプリ』の際には、主催者である本名技研工業の提案で、このグランプリを日本各地で行うこととなりましたが、その開催地に上士幌町も選ばれました。
長野県佐久市、三重県鈴鹿市に続き、北海道上士幌町と、4大会として大きな盛り上がりを見せたそうです。
夏季と冬季に舞い上がる色とりどりのバルーンたち
令和2年になった現在———。毎年、上士幌町では2月中旬には『上士幌ウインターフェスティバル』、そして8月中旬には『北海道バルーンフェスティバル』が開催され、町民をはじめとする多くの人々が、色鮮やかなバルーンを見に集まります。
当初はたった1つの熱気球だったものが、今では色とりどりの迫力満載なバルーンたちとして、壮大な上士幌の青空に浮かび、見る人々の心を躍らせ、感動をよぶものとなっています。
2020年5月28日に『四季風路 バルーンのふるさと 道の駅 かみしほろ』が誕生しますが、なぜ『ふるさと』なのかは、この記事をお読みくださった方なら、もうお分かりですね。